介護事故の死亡慰謝料は交通事故の死亡慰謝料より低い?
1 交通事故の死亡慰謝料2,000万円
現在、医療事故や介護事故で利用者が死亡した場合、死亡慰謝料は2,000万円が相場となっています。
これは、交通事故で人が死亡した場合の相場をそのまま採用したものです。
交通事故の件数は膨大で、現在まで多数の裁判例が蓄積されているため、相場がほとんど固まっているのです。
2 介護事故の死亡慰謝料200万円?
しかし、近時、医療事故や介護事故で利用者が死亡した場合の慰謝料は、200万円を最低限としてはどうかという提言がなされました。
杉浦徳宏「医療訴訟における高齢者が死亡した場合の慰謝料に関する一考察」(株式会社判例時報社判例時報2402号136頁。2019年6月11日)という論文です。
杉浦氏は、長く医療訴訟を担当した裁判官です。
杉浦氏は、医療事故(介護事故)で利用者が死亡した場合、死亡慰謝料は、
200万円
を最低限とし、患者(利用者)の年齢、医師(介護者)の過失の程度、責任の程度といった個別事情を考慮して、慰謝料を算定すべきだとしています。
この論文は衝撃的でした。
現状、2,000万円が相場のところ、その10分の1である200万円にすべきと言ったからです。
その理由は、いくつか書かれていますが、一番大きな理由は、次のようなものです(少し私が意訳しています)。
交通事故の場合、健康な人が突然交通事故の被害者になるのが一般的であるのに対し、介護事故の場合、被害者である利用者は、高齢者であり、もともと加齢による身体能力低下、嚥下機能低下、認知機能低下などがベースにあるということです。
つまり、高齢者の介護にはもともとリスクが含まれていて、そのリスクが介護事業者の過失によって死亡というかたちで顕在化したときに、交通事故と同じ基準を使うのは妥当ではないのではないかということです。
3 批判と共感
大変興味深い提言ですが、批判も多かったようです。
交通事故であろうと介護事故であろうと人の生命の価値は同じはずだと。
たしかに、この批判もうなずけるところがあります。
ただ、それでも、現時点では、私は、杉浦氏の意見に共感するところがあります。
介護事故の裁判例を検討していると、介護福祉事業者の苦悩がありありと伝わってくることがあります。
たとえば、こんな事例です。
ある入所系の施設が、認知症の利用者をショートステイで受け入れた。
もともとその利用者は徘徊傾向・帰宅願望が強かった。家族も苦労されていたと思われます。
そうしたところ、入所3日目にして、その利用者が徘徊・離設。行方不明になり、数日後、山中で遺体で発見された。
実際にあった痛ましいケースです。
(平成30年1月22日/長崎地方裁判所/平成28年(ワ)第279号)
このようなケースで、介護福祉事業者に、死亡慰謝料2,000万円の責任を負わせることが妥当なことでしょうか?
4 介護の社会化とそのための政策形成
2000(平成12)年から、わが国は、介護保険を発足させ、介護の社会化へと舵を切りました。
介護の社会化において中心的存在となるのが介護福祉事業者です。
介護福祉事業者が、家族・社会のニーズに従って、リスクの高い利用者を引き受け、そのリスクが不幸にも顕在化してしまった。
そのときに、2,000万円という高額の死亡慰謝料の支払いというかたちで、介護福祉事業者だけにそのリスクを負担させるのは、アンフェアなんじゃないか。
「こんなことになるなら、最初から受け入れるんじゃなかった・・・」
介護福祉事業者がそんな気持ちになってしまうとしたら、介護保険制度も持続できなくなるのではないでしょうか。
杉浦氏は、いくつかの事例を検討し、以下のような記述をしています。
「・・・平均寿命を大きく超えている96歳の女性に対する慰謝料2,200万円の認定は違和感を感ずる一方で、97歳の女性に対する慰謝料400万円は比較的落ち着きがよいように感じられる。」
株式会社判例時報社 判例時報2402号140頁
私も、杉浦氏と同じ感想を持ちました。
この問題は、多分に政策的な面を含んでいると思います。
介護が社会化するなか、不幸にも介護事故が発生した場合、介護福祉事業者はどのぐらいの責任を負うべきなのか。
国会・内閣が政策形成していくのか、裁判所が裁判例の蓄積によって政策形成していくのか。
今後も注視していく必要があると思います。